思いの外、大作になってしまいました。
今回は、世界的超有名ビジネス書である『完訳 7つの習慣』(キングベアー出版)について、全体を通して僕なりの感想を書いてみました。
感想、と言う割には、思いっきり長文になっています。というか、名著と言われるだけあって、そんなに簡単にまとめられるような内容の薄い本ではないです。といいながら、ひとことでむりやりまとめてみる試みもしてみました。
最後まで読むのは結構時間が必要だと思いますので、お時間のあるときに、ゆっくりお茶やコーヒーを楽しみながら読んでみていただけると嬉しいです。
この記事が、7つの習慣を読んでみるきっかけなど、読者さんのお役に立てれば幸いです。
『7つの習慣』を無理やりひとことでまとめると「自分と自分の半径5mの相手を思いやり、一生涯かけて大事にしつづけよう」である
人間というものは、永遠に未完成な建築物や絵画のようなものであり、卑近な例を出すとすれば永遠に工事が進み続けているかのように思えるJR新宿駅構内のようなもの。この世に生を受けた瞬間から人生が始まり死に至って終わりますが、死によって完結はするものの、完成されてしまうことは永久にありえないものだと僕は考えています。いわばネバーエンディング・ストーリーなのであり、終わりのないのが終わりである、ということだと思っています。
『完訳 7つの習慣』を読んでみてまず思ったのはこれです。常に動き続け先の読めない展開も多い山あり谷ありなひとつの人生の中で、いかにしてそれを善く生きることができ、命のロウソクの灯火が死神に吹かれる最後の瞬間までそう感じ続けることができるのか。それを追究するためのツールのひとつが7つの習慣なのです。
7つの習慣というビジネス書界のトップに君臨する著作物の全体に流れているメッセージを、無理を承知の上で僕なりにひとことでまとめてしまうと、「自分と自分の半径5mの相手を思いやり、一生涯かけて大事にしつづけよう」 だと僕は思いました。念の為繰り返しますが、これはあくまで個人的な解釈です。
インサイド・アウトの生き方、すなわち自分の内面である私的成功から始まり、その影響の輪を自分の外側である公的成功に広げていき、必要に応じ内面と外面を行き来し磨き続けることが、7つの習慣すべてを実行することで得られるのが著者の言っている成功ということだと思うのですが、やはり7つの習慣というのはちょっと多いような気がします。
昨日の朝食も意識しなければ思い出せないのに、7つもの大変な習慣を自然に続けられる人がどのくらいいるのでしょうか。習慣化すれば可能である、著者はその状態を目指せ、と言っているのかもしれませんが、自分を含め普通の人にとってはかなりハードルが高いというか、素人が最高難度の棒高跳びに挑戦させられるようなくらい難しいことであるような気がします。
だから、1つだけ実行するとすれば、自分はもちろん自分の半径5m以内の人たちやもの・ことなどを思いやり、大事にしていくということだけを、一生涯つづけるというのはどうでしょうか。それだけならできそうな気がしませんか?
それだけ、と言ってしまいましたが、そんなに簡単なことではないのは承知の上です。半径5mというのも比喩的な表現で、直接関わりのある人たちや間接的に関わりのある人やものなどをすべて含んでいると考えていただいて差し支えありません。著者流に言うとそれは影響の輪であり、その中でWin-Winの相互依存的な協力関係を築いていくのです。
半径5mは視野が狭すぎるとの意見もあるかもしれません。ですが、まずは身近なもの・ことに思いやりを持って接することができなければ、影響の輪の外側に出たときに人格的な強さは発揮できないと思うのです。
さらに言えば、5mといっても多様性は豊富なものです。その観測範囲にはよく行くお店や駅などでしか関わりのない人も存在します。実は毎日すれ違っている人もいるかもしれません。もし多様性を感じないのであれば、視野を広げ、ものごとを少しでも多面的に考える努力が必要です。だからこそ、まずは5mで考えてみませんか、という提案です。
僕の要約(超訳?)としてはここまでで終わりなので、以下はすべて蛇足ですが、本書の内容について僕が考えたことなどを取りまとめておきたいとおもいます。本を読むのは大変だが内容をある程度まで知りたいというニーズもあるかとおもいます。
ただし、僕の頭の中のファンタジーをいったん通過して出てきた話も含まれているので、誤読や変な記述があった場合についてはお許しいただけますと幸いです。ご興味とお時間があれば一読いただき、意見などをもらえると嬉しいです。
※「半径5m」というのがどこから出てきたのかはっきりしませんでした。最近よく聞きますがどこから出てきた言葉なんでしょうね。僕自身もどこかから借りてきただけです。
内面のパラダイムシフト―「私的成功」とは
私的成功の領域は3つの習慣からできています。
- 主体的である―パーソナル・ビジョンの原則―
- 終わりを思い描くことから始める―パーソナル・リーダーシップの原則―
- 最優先事項を優先する―パーソナル・マネジメントの原則―
それぞれ、僕なりに解釈したことを書いていきます。
主体的である―パーソナル・ビジョンの原則―とは
内面とは人格であり、人間の持っている主体性です。生きているといろいろなことに注意を引きつけられます。いろんなことに意識的に、または無意識に影響を受けてしまいます。そうやって生きていると、いつの間にか気づかないうちに、受動的な生き方を選んでいる、選ばされているのではないかと疑問に思う瞬間がないでしょうか。
2023年1月現在のいまはアテンション・エコノミーという言葉が表現する通り、人びとの注意をよりひきつけたものがバズを生み、消費されるような社会がグローバルに広がっています。インターネットの速度が高速になり、デバイスが小型になったことにより、だれでもそのような情報にアクセスがしやすくなったことが、一つの要因でもあるでしょう。
そのような情報に反応し、流されるままを生きる。そういう生き方も楽でいいかもしれません。ただし、その生き方で楽ができる場合だけです。もし仮に流されるまま生きることが苦しいと感じるようになったらどうでしょうか。敷かれたレールの上に石がおいてあることもあるし、レールがなにかのはずみでゆがんでしまっていることもあります。
時間の流れは川の流れのように、気づいたときにはその激流をさかのぼることは叶わず、生まれては消える泡沫のようになってしまうかもしれません。良かれと思っていたこと、正しいと思っていたことが、そう思わされていたにすぎず、過去に凄惨な悲劇を生んだこともあります。ほんとうにそれで良いと思いますか?
著者はこのような状態を「反応的な生き方」というふうに言っています。この本が最初に出版されたのは1996年ということですから、もう30年近く前から現代にも通じる本質を導き出した著者の先見の明には驚くべきものがあります。
つまり反応的な生き方というのは他責の生き方でもあるということです。そういう人は、自分の選択を取り戻さないといけない。強制的な選択肢しかない状態でも、拒否する権利が認められないという状況でも、確固たる信念を持った主体性をもって、自ら正しい選択をしていくことが重要なのかもしれません。ただ、そうすることによって生命が守れない場合は、生命を優先すべきかもしれませんが。(とはいえ、夜と霧のヴィクトール・フランクルのような例もあり、なんとも言えません)
そして、人はこの反応を選ぶことができる主体性を持っていると著者は言います。すべて手中に収めることはできないので、自分の持っている関心の輪を描き、その中で自分がコントロール可能かつ影響を与えることができる領域を影響の輪とし、その影響の輪に労力をかけ主体的に生きよう、といいます。
円形に可視化されることによって自分の影響力が意識され、責任が自覚できるようになります。これは主体的な自責の人に変化したということになるでしょう。まずこの段階を目指すためには、影響の輪を理解することが必要です。
著者はまた、私たちが直面する問題は次の3つのうちどれかであると言っています。
- 直接的にコントロールできる問題(自分の行動に関わる問題)
- 間接的にコントロールできる問題(他者の行動に関わる問題)
- コントロールできない問題(過去の出来事や動かせない現実)
1.については、私的成功の領域を改めることで解決することができ、2.については公的成功により影響の及ぼし方を改めることで解決できるといいます。自分が影響を与えられる領域の問題解決にすべてのエネルギーを注入したほうが、効率も良いですし、良いアウトプットも得られやすくなります。
3.については、問題に対する態度を根本的に改める必要があるといいます。コントロールできない問題をコントロールしようと必死になることは、はっきり言ってエネルギーの無駄遣いなので、自分以外にコントロールできる人やそれが上手い人を探してコントロールしてもらうか、コントロールしないことを選ぶほうが良いです。こういう名言もあります。「過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる。」(精神科医 エリック・バーンの言葉)
この3つは常に意識したい項目です。仕事・私生活の両面において「このことは自分の影響でコントロールできることか?自分がやる必要はあるのか?得意な人やツールはないか?」といちど立ち止まって考えることは、私的成功・公的成功の両面から見ても重要だと考えられます。
使えるエネルギーの量は個人差があるかもしれませんが、有限であることには違いないでしょうから、その点でも自身の持てるエネルギーを最大限、自分の影響の輪の中で使っていくことは、善い人生を送る一つのコツになりそうです。
さらに、このようにしていくと影響の及ぼせる範囲も広くなっていくかもしれません。そうして、私的領域から公的領域の成功へと、ステップアップしていくのですね。
著者は簡単なテストとして、次のようなことを勧めています。
- なにか約束をして、それを守る。
- 目標を立て、それを達成するために努力する。
これらは自分を信頼する土台作りになり、また自分の責任において何かを達成することの訓練になります。どんな小さなことでも構わないと思います。たとえば、1日1ページだけ読書をする習慣を守って、1冊の本を読み終わるのを目標にするとか。
はじめの一歩はほんのささいなことでも、だんだん慣れてくるといつのまにか、5ページ、6ページ、10ページ・・・というふうに、増えていくんじゃないかと思います。そうしていくと読書することに抵抗がなくなり、いつのまにか読書が好きになっているかもしれません。読書をすることに自信をつけることにもなるでしょう。
このように習慣にしたいことがあるときは、ハードルをらくらく超えられるものにしておけば、自分との約束や目標の達成という成功を積むことができます。超えられそうだけどちょっと超えるのが大変、というようなハードル設定は、強固な土台ができてからでもいいんじゃないかと思います。相撲の土俵も最初は一粒の土から始まり、あれだけの力のぶつかり合いを支えるものになるのです。
でも、これらのことを守れなかったときに必要以上に自分を責める必要はないと思います。たまたま超えられなかったから、まあいっか!と進むこともできることを忘れないでください。超えられないことがあったなら、いまはだめでもあとでできるかもしれないし、向いてなかったならほかのことを選択すればいいだけです。それでも少しは進んだわけですから。
やわらかく、ゆるく、やっていったほうがいいはず。
終わりを思い描くことから始める―パーソナル・リーダーシップの原則―とは
すべてのものは2度創られる。第一の創造は知的創造、そして第二の創造は物的創造である、と著者は言っています。
この意味するところは何でしょうか?僕が思うに、すべてのできごとやものごとにはある程度の完成形が存在しているので、そのことをまずは考えてから、取り組み始めましょうということなのではないかと思います。
第1の習慣で主体性を身に着けることにより、個人として自覚し、そして自覚した個人がその持ちうる想像力と良心によって第2の習慣である第一の創造、すなわち知的創造をする、ということのようです。
しかしどんなときでもはっきりとしたビジョンや目的地がいつも描けるのであれば、苦労はしないかなというのが僕が思うところです。買い物や旅行であれば、目的のものがあったり、目的の場所があったりして、それを求めていくためにはどうしたらよいか?ということを考えることができると思います。
完結が容易い行動だけで私たちの生活ができているわけではありませんよね。どうしたらよいかわからない、指針もない、というようなことがあるんじゃないでしょうか。現代ではもうほとんど地図のない場所はないかもしれませんが、地図がなかった時代の冒険家を想像してみるとその困難さがちょっとはわかるような気がします。
そんななかで、太陽の方向に向かうとか、獣の足跡をたどってみるとか、川沿いに進んでいこうだとかいうことが冒険家にはあったのかもしれません。そういうふうに考えると、ぼんやりとこうなりそうだ、とか、こういう形が良さそうだ、というふうに、ビジョンや目的地がはっきりわからない場合でも、その求める何かを思い浮かべることはあるかと思います。
そのときに、自分の中に著者の言う原則があればそれがコンパスの代わりとなり、ぼんやりとした目的地だったとしても正しく物事に対処することができるようになるということなのだと理解しています。
著者はこのことについて、個人のミッション・ステートメントを持つように勧めています。
これが人生の指針になるということです。先ほど述べたような、冒険家にとっての地形や環境の変化がこれに近いと思います。個人だけではなく、組織を考えてみても、ミッション・ステートメントは創業者個人の信条から生まれ、それが企業の基本理念となることがよくあります。
個人のミッション・ステートメントは、自分の中心となり、不変の強さを与えてくれるものだと言います。アメリカ合衆国憲法を例に取り、その正しい原則と自明の真理は独立宣言であり、その原則があるからこそアメリカ合衆国は変化の時代を生き抜いてきたといいます。
個人にとっての正しい原則とは何か、少し不明確な感じがします。僕なりに解釈すると、個人にとっての正しい原則とは、すなわち過去を振り返ったときにものごとの判断基準にしてきたと確信できるような、そしてこれからも大切にしていきたいと心から強く思うことができる価値観、です。
しかしながら僕たちは外的環境の変化にさらされることによって、内面の変化が起こることがありえると僕は考えています。また、内面の根本的な考え方を変化させて適応しなければならないような状況が起こりうる可能性もあります。
たとえばグローバル環境でLGBTQの権利、同性婚の権利などの多様性が認められつつあるなかで、公に認められ周囲の環境でもそれが普通のことになってきているにもかかわらず、個人の揺るぎない信条に照らし正しくないと反対の主張を続けることが正しいことなのでしょうか?
こういうときは、個人としては反対の立場だが、公に認められたことは認めて生きよう、というように態度を変えたほうがストレスがたまらないのではないかと思います。こういったことを個人のミッション・ステートメントとして織り込むことは、主体性の原則とはトレードオフにはならないと考えます。
本当にどうしても変えられない、絶対に正しいのだと思える信念があるのならば、起こりうる変化に対して柔軟に対応していくための、心のしなやかさを身につける必要があるように感じます。それが適応するということであり、著者の求める正しい原則ではないでしょうか。
個人的には、そんな絶対不変の信念というものは存在し得ないと考えています。
僕の解釈が誤っている可能性はもちろんあります。個人としては、人間は変化し続ける主体である、という考え方をしているため違和感があったということです。変化し続ける中でも、変化しにくいものがなにかあるとすれば、それがそのひとの不変の強さであり、個人のミッション・ステートメントにつながるものなのかもしれません。
個人のミッション・ステートメントの書き方については、まずは第一の原則である主体性の原則を意識するところから始まらなければなりません。第二の原則は、第一の原則に集中するためのツールになります。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるかもしれませんが、下手な鉄砲を撃ち続けるほど弾薬と時間が豊富にあれば誰も困りはしません。
しかしながら人生においては使える資源は有限です。道具の正しい扱い方、心構えを学び、チャンスを待ち、ターゲットを正確に狙ってトリガーを引かなければ、標的に命中することはないでしょう。それでも急に風が吹いてきたり鳥が飛んできたりすることもありえます。
不確実な世界のなかで、少しでも確実な一歩を踏んでいくためには、主体的であることと、それを使いこなすためのミッション・ステートメントが必要なのです。
個人のミッション・ステートメントを書く上で、自分の信念の中心がどこにあるのかを認識する必要があります。そしてその中心とは以下の種類があり、ほとんどの人は複数の中心が合わさっていると述べています。
- 配偶者、家族、お金、仕事、所有物、娯楽、友人、敵、教会、自己
この自分の中心になっていることをまずは確かめ、これを認めた上で、著書は原則中心の生き方を勧めています。
ここまでは個人のレベルのことではありますが、著者は家族や組織体のような関係性にもミッション・ステートメントが適用できるとしています。実際、現代でも企業では理念や宣言などといった形でこれが書かれていることが多いように思います。
企業の場合はその継続性や組織としてのまとまり、規律などを形成するために利用されていると思いますが、そこから逆に考えると、一個人としての一貫性、モラルなどを考えていくために、ミッション・ステートメントは有効な手段であるように思われます。
そしてミッション・ステートメントのような形で自分の考え方を書き出してみることは有効だと思います。なんにしたって、頭の中で考えているだけでは現実にはなんにも影響は及ぼせないわけですから、とにかく形にしてみることがまずはスタート地点。
数週間、数ヶ月、いや数年とかかるかもしれませんが、それだけ重要な自分の価値観の集大成は一朝一夕にはできないものです。価値判断の基準となるものですから慎重に作りたいものです。
良いミッション・ステートメントの文章は個人的、ポジティブ、現在形、視覚的、感情の5要素が含まれていると述べられています。これらの要素がなぜ重要なのかというと、端的に表現するとイメージがしやすくなるからです。
そのことについて想像力をフル回転させて、ストーリーとしてイメージを焼き付ける。そして現実世界で実行させる。冒頭に述べたとおり、自分が創造主になり第1の創造と第2の創造をするわけです。
ここまでの流れを強引にまとめてしまうと、私的成功のためには原則中心の生き方にパラダイムシフトする必要があり、その実行順序として、まずは自己の主体性を意識・実行し、次に主体性をベースにミッション・ステートメントを書いて中心を見きわめ、そしてその原則を中心に据えて生き続けることによって善い終わりを思い描けるようになる、すなわち善い人生を形づくる、ということになろうかと思います。
いまの生活に満足していますか?仕事には満足していますか?趣味に満足していますか?生きることに満足していますか?それらは他人に決められたことではなく、自分で決めたことですか?
著者は第2の習慣によって、読者に対し、読者自身による本気の生き方を責任を持って選択できるよう促してきている。そう感じました。
最優先事項を優先する―パーソナル・マネジメントの原則― とは
第3の習慣は結果を得る、すなわちアウトプットするということです。頭の中で思い描いたことを、実際に実行に移す段階です。第3の習慣のゴールは、毎日、原則中心の生き方ができるようになること、と著者は語っています。
第3の習慣には意志の力が不可欠です。効果的に意志の力を働かせるためには、主体性の成長とミッション・ステートメントによる一貫性が必要です。そのうえで、意志の力によるセルフマネジメントを成功させるためには、最優先事項を優先しなければなりません。
それでは、最優先事項を優先するとはどのようなことなのでしょうか。最優先事項を判断し、物事にイエスかノーかをはっきりつけていくためには、第2の習慣が必要です。
そして、最優先事項を優先するために必要な時間管理の考え方について、緊急度・重要度のマトリックスを示し、第Ⅱ領域(緊急ではないが重要なこと)に注力せよと述べています。
この指摘にははっとさせられました。なんとなく流されるままに生きていると、有限なはずの時間を無限に些末なことに消費してしまい、本当に大切なことがどこかに行ってしまい、いつのまにかそれすらも忘れてしまっていることがないでしょうか。
仕事の上でも、強制的に開催されてしまう緊急会議、本業とはすこし外れた雑務なども含めてスケジューリングをしてしまっていて、最優先事項であるはずのこともそれらと同列にしてスケジュールを組むということがないでしょうか。
僕には覚えがあります。優先順位をきちんとつけているようで、これでは実質的になにも優先していないのと変わらないのです。スケジュールを優先順位ごとに決めていくことは、当たり前のような仕事術のようで、意外と実行するのが難しいことでもあります。仕事でもそうなのですから、私生活ではもっとテキトーになっています。要反省です。
時間管理ツールとして必要な6つの要素(一貫性、バランス、第Ⅱ領域へのフォーカス、人間関係重視、柔軟性、携帯性)が紹介されていますが、2023年現在ではスマートフォンがありますので、様々なスケジュール管理アプリを検討した上で、自分に見つけたものを選ぶのが最適じゃないかと思います。
あえて紙のスケジュール帳を選ぶことも選択肢の一つですが、ほぼ毎日確実にスマホを持って歩いているであろう現代人にとっては、二度手間になることは効率が悪いのではないかと思います。もちろん、専用の物を用意することで明確な区別をつけて運用するという考え方もあります。ツールは個人によって、また時代やテクノロジーによって変わるものですが、目的はあくまで効果的なタイムマネジメントです。
どのツールを使うか決めたら、次はどのようにして計画を立てるかです。著者は、第Ⅱ領域を中心にした計画の立て方のステップとして、次の4つを示しています。
- 役割を明確にする
- 目標設定
- スケジューリング
- 1日単位の調整
共通して言えるポイントは、仕事・私生活を含め、大きく視野を広げて原則を中心にしたスケジュールを立てるというところだと思います。ここで面白いのは、時間を考えるのは最後になっているところです。あくまで、自分の影響の輪を中心として、人間関係や行為の結果にフォーカスできるように計画を考えることが重要だということのようです。
そして、時間の有限性に触れ、次のようにデリゲーション(人に任せる)せよといいます。
この話は、第1の習慣で触れた3つの問題(直接/間接コントロール可能、コントロール不可能)にも通じています。どんな問題解決においても、なんでも自分で考え実行して解決する必要はまったくなく、得意な人にまかせてしまったほうが何倍も効果的な結果が得られます。
他人に任せるというのは、細かい指示を一挙手一投足出してコントロールするということではなく、委任先の相手が望ましい成果が出せるように適切な指示やガイドライン、必要なリソースなどを相手に与え、考えて実行させるということで、それが全面的なデリゲーションであり、マネジメントでもあるということになります。
このとき、他人の時間を使うなんて自分のような人間にはおこがましい、と思う方もいるかもしれません。僕もそのタイプでした。自分にエネルギーが有り余っているときは大丈夫なのですが、日々の問題に対処するなかで、いつの日かそれが破綻してしまいかねない状態に陥っていました。
脆い足場の断崖絶壁で敵と格闘して、自分が落ちるか相手が落ちるかというような状況です。それでは両方ともダメになってしまいかねません。そのへんのバランス感覚についても、やはり原則中心の生き方にパラダイムシフトすることにより、変化させていくことができます。
そしてこの全面的な委任の行為は相手との信頼構築にも繋がります。これは後ほど述べる、相互依存関係にもつながるところです。
こうして、仕事・私生活の両面に置いて、効率的・効果的に成果を出していくことができるようになっていきます。それが、第Ⅱ領域へのフォーカスであり、第3の習慣である「最優先事項を優先する」のアウトプットになります。
ここまでの私的成功の部分をもう一度まとめましょう。第1の習慣「主体的である」によって選択することを意識する責任ある主体となり、第2の習慣「終わりを思い描くことから始める」によって、自分の行動についての明確な判断基準を持ち、そして第3の習慣「最優先事項を優先する」によって緊急ではないが自分にとって重要である領域の活動に時間を配分するように自分の時間をマネジメントしていきます。
このように、私的成功の3つの習慣は、自分が自分という存在として世の中で生きていくために、大事なもの・ことを守り、そしてその影響の輪の中での自分という存在を高めていくために、貴重な時間というリソースを確実に最大限、自分にとって大切なことに注力できるようにしていくための基礎となるのです。
私的成功の主語はあくまで「私」(I)。私は〇〇を大事にする。なぜなら・・・という文によって表される自己像が、私的成功そのものとなってくるはずです。
前半はここまで。後半に続きます。
記事全体が長くなりすぎてしまったので、私的成功と公的成功の2つで前後半に分けました。
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。へば!!
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