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熊野三山を巡り、本州最南端へ到達!紀伊半島は世界遺産だらけ。日本の神話と観光について、色々と考えさせられました。《紀伊半島キャンプツーリング 2019GW 2日目》

ツーリング
この記事は約19分で読めます。

紀伊半島キャンプツーリング2日目です。

2日目は、主に熊野三山を巡るツーリングとなっています。

特に御朱印集めなどはしていないですが古いもの好きとしては由緒ある神社などは確実に抑えておきたいスポットでした。

今回も色々考えていたことを思い出しながら書いていたら、盛りだくさんになってしまいました。それではスタート!

1日目はこちらから↓

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熊野市青年の家からスタート

前回もお伝えしたとおり現在は閉業されています。残念ながら。

獅子岩が目の前にあるので、早朝の一発目にワンショット納めに行ってまいりました。

獅子巌(ししいわ)

なにやら神秘的ですね

ちょうど東側に位置しているので、やや逆光気味になってしまいましたが獅子岩とGSくんを収めることができました。熊野市青年の家からすぐ向かい側くらいにあり、朝早い時間帯なのでできたって感じもします。

実はこれ世界自然遺産。そして、国指定の天然記念物でもあります。大馬神社の狛犬にもなっているそうです。

砂浜、海岸線と凛々しい獅子の形の岩。とてもいい感じの景色でした。熊野花火大会のときには撮影スポットになるらしいです。ぜひ訪れてみたいですね。

花の窟(いわや)神社

事前に全く調べていなかったのですが、この神社は実はすごい神社でした。日本最古の神社だそうです。

近くに駐車場がありますが、バイク専用の駐輪場はありませんでした。スペースは広いので、じゃまにならないところに停めておけばOKと思います。

玉石敷きの遙拝所と御神体

収まりきらない

2つ目の鳥居をくぐってすぐ目につくのが、眼前に広がる大きな岩。これが御神体らしいです。

遙拝所は玉石が敷いてあり、履物を脱いでお上がりくださいと書いてあったのでブーツを脱いで上がり、とりあえず安全祈願をしておきました。

御祭神は伊奘冉尊(イザナミノミコト)と軻遇突智尊(カグツチノミコト)

御神体

この手の話によくある「※諸説あります」なんですが、祭られているというよりは、イザナミはカグツチを産んだときに亡くなり、カグツチのほうも切り殺されたみたいなので、お墓にあたるようです。

あんまり考えすぎても最終的にわからんのでこのへんで。手元の日本書紀前現代語訳(講談社学術文庫、宇治谷孟訳)でも確認しました。神代上、国産みの部分、一書(第五)に確かにこのように書かれていました。(引用)

一書(第五)にこういっている。伊奘冉尊が火の神を生むときに、体を焼かれてお亡くなりになった。それで紀伊国の熊野の有馬村に葬った。土地の人がこの神をお祭りするには、花のときに花をもってお祭りし、鼓・笛・旗をもって歌舞してお祭りする。

日本書紀 全現代語訳 (宇治谷孟著 講談社学術文庫)

そういうわけで花の窟神社ということのようです。

軻遇突智尊はイザナミと向い合せになるように祭られています。

伊奘冉尊の後ろ側に軻遇突智が祭られている

なお『古事記』ではイザナミのお墓は比婆山(島根県安来市)になっているとのこと。手元には古事記はないので確認できませんでした。

どっちが本当なのかはまた新しい史料が出てくれば変わるような気もしますが、とりあえず2021年現在の定説ではこっちみたいです。

その他の写真はこちら。

丸山千枚田展望台

んーー高さがあれば収まりそうだ。

花の窟神社をあとに、国道42号を進んでいきます。海岸線沿いをしばらく走り、右折して三重県道739号線を経由して、国道311号線へ。

その後、三重県道40号線(熊野矢ノ川線)に入り、山の中の道を進んでいくと、丸山千枚田を一望できる展望台があります。途中ほんとうにここか?と疑ってしまいますが、「丸山千枚田」と大きく書かれた看板を信じて進んでいきましょう。

拡大すると丸山千枚田の文字が。

訪問したときは残念ながらまだ5月前なので、田植えすらされていない状態でしたが、丸山千枚田の文字がはっきりと見えました。

バイクと一緒に棚田を収めたいと考えましたが難しかったです。バイクを置いてもうちょい上に登れる場所があれば収まりそう。

ぜひ、黄金の稲穂がたなびく時期を狙って再訪してみたいものです。しかし、いつも棚田は時期を外しがちだな。

熊野三山を巡る

本日のメインです。熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社に順番にお参りしていきます。2004年、「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコに世界文化遺産として登録されているので、はからずも今日は獅子岩も含めて世界遺産を巡るツーリングということに。

丸山千枚田展望台のある三重県道40号線をそのまま進んでいくと国道311号線に戻ることができます。そして北山川沿いに走る311号線をひた走ると、熊野川に当たります。

熊野川を上流に向けて走っていくと、熊野本宮大社に到着!

熊野本宮大社

この風格

さて熊野本宮大社でございます。有名すぎる観光スポット・パワースポットで、駐車場も車だらけ、当然人だらけでした。バイク専用の駐輪場が多く用意されているので、安心して参詣することができます。

その先には両端に旗がずらりと並んだ石段が。なんと158段です。この石段を登っていった先に、神門があります。

そして門をくぐると、社殿が目の前に。

神を父 仏を母・・

なんなのかはよくわかりませんが社務所の横に「刻」の一文字が大きく飾ってありました。

熊野本宮大社は熊野神社の総本山

なんと4700社もある熊野神社の総大将というわけです。そういえば近所にも、旅先でもたびたび熊野神社というのがあって、そのたびにあの熊野の神社のことなのかな?と思っていたのですが、ついに本家本元に来ることができてしまったわけですね。

熊野本宮大社の本殿。いやー、荘厳ですね。

御祭神:天火明命(アメノホアカリノミコト)

熊野神社の由緒に関しては、日本書紀にある神武天皇の東征が関わってきます。神武天皇は日本初代の天皇という伝説の人であり、天照大神の子孫ということになっています。

東征というのは、平たく言うと今の宮崎と鹿児島のあたりに住んでいた神武天皇(45)が、いい土地があるという噂を信じて東側に進軍していき、天神の力を借りながら領地を広げていったという侵略の話と僕は理解しています。実際やってることはたぶんあの世界史に出てくるピサロとかコルテスとかと一緒なんじゃないの?いいように書かれているだけで。(怒られそう。)

神武天皇は、日本書紀を読む限りは軍を率いて自ら前に出るリーダーのように描かれていますが、ほんとかよって感じではあります。天皇はいちおう人間ではない扱い(天孫)っぽいので、伝説はとても人智では計り知れないような出来事がたくさん起こっています。読み物としてもけっこう面白いので、興味があれば読んでみてください。(これ怒られないよね?)

肝心の天火明命ですが(前置きが長くてすみません)、神武天皇が熊野に行った際、神の毒気に当てられて行軍が振るわなかったとき、熊野の高倉下(たかくらじ)という人のに出てきた天照大神と武甕雷神(タケミカヅチノカミ)のお告げにより、神武天皇が「ふつのみたま」という武甕雷神の剣を授かった、というところで出てきます。

この高倉下が、天火明命の息子ということらしいです。神武天皇と存在的には似たような、人ではないなにか特別な存在ですね。

ちなみに八咫烏(やたのからす)も神武天皇の案内役として天照大神から遣わされ、この段に出てきます。熊野本宮大社の公式サイトの記述とちょっと違っているので、諸説あるのかもしれません。

八咫ポスト。コロナの今、どうなってることでしょうね。

その後、崇神(すじん)天皇の時代に創建されたとのことです。崇神天皇は120歳で崩御と書いてありました。この時代にどんだけ長寿かよ。

余談:熊野大権現(だいごんげん)とはなにか?

先程の熊野本宮大社の鳥居をくぐった先の参道にずらりと、「奉納 熊野大権現」という旗が並んでいたのを覚えておいででしょうか。スクロールして少し戻ってみてください。

「熊野大権現」とは、熊野三山の神々をしてそのように呼ぶようです。神仏習合の名残

権現(ごんげん)というのは、日本の神様のレベルを示す指標のひとつ。「権」というのは、「仮の」という意味らしい。仏が仮の姿で現れることを「権現」というそうです。日光東照宮は徳川家康が祭られていますが、東照大権現とも言われますよね。

ここで、なんで仏?と思った方は正しい。神の話をしているのに仏の話しが出てくるというのはおかしいと僕も思ったんですが、仏教では垂迹思想というのがあって、仏・菩薩が人々を救うために、仮に日本の神の姿で現れることがあるとされています。これが、ここでいう権現です。都合がいいですね。

かなりややこしい話なんですが、日本の神話があったうえに、飛鳥時代に仏教が伝来し、時代が進むに連れ神仏習合も進んでいった結果ということと僕は考えています。この考え方は明治時代の神仏分離で衰退したようですが、いまもこのような表現が残っているのですね。

日本一大きい鳥居 熊野本宮旧社地 大斎原(おおゆのはら)

日本一の鳥居、大斎原の鳥居

ここは鳥居だけがある場所で、かつて熊野本宮大社があった場所です。(と、ブログを書いているときにはじめて知りました。)

1899年に起きた洪水以降、今の場所に御遷座されたということです。ちなみに難を逃れた宝物は現在の宝物殿に展示してあります。宝物殿の入館料は300円でした。

この鳥居の近くには行かなかったのですが鉄筋コンクリート造の大鳥居だそうです。もはや現代的な建築ですね。現世人類が滅びてもしばらく残るんだろうな。核攻撃には耐えられるのだろうか・・・。

本宮からは少し離れた位置にありますが、歩いていけない場所でもないです。僕は歩いていったのでバイクと収めた写真はなし。というか日本一であること自体、後から知りました。ぴえん。

菜の花畑と鯉のぼり

菜の花と鯉のぼりとGS

国道168号線、ここはいい感じのバイパス道路でした。スイスイと気持ちよく走っていたとき、高架の下に何やらたなびくものが見えたので降りて確認すると、巨大な鯉のぼりでした。このあたりでは毎年飾られているのでしょうね。

うまくバイクと収めたかったのですが、ちょっと失敗しちゃいました。

場所的には、道の駅弁・富士というところから北西側、熊野川と赤木川の合流地点の南側のあたりだったんじゃないかなと思います。地図でいうと下のあたりです。GWあたりには必ず飾られてるんじゃないかなと思います。ちょうど菜の花とツーショットにできるのでいい感じ。おすすめです。

いいポイントがないので、はせひら食堂さんの場所を掲載します。ここから北側くらいです。

かあちゃんの店

国道168号線沿いの道の駅瀞峡街道熊野川に隣接して、「かあちゃんの店」という良さげな感じのお店があったので、ちょうどお昼ごはんの時間帯でしたので立ち寄って見ました。

めはり寿司

めはり寿司、うまかったです。(1個食ってから撮った)

めはり寿司はこのあたりの名物です。高菜の漬物でご飯を巻いて、醤油系の味付けを施したもの。

食べるときに目が大きく開くということから、めはり寿司というんだそうです。※諸説あります。

名物で腹ごしらえもできたし、次の目的地に行きましょう!

熊野速玉大社

邪魔してゴメンな・・

熊野本宮大社から国道311号線を経由して、熊野川沿いに国道168号線を南東方向に走っていくと熊野速玉大社があります。

熊野本宮大社よりアクセスはいいですが、駐車スペースは狭く、バイク専用の駐車スペースもあまり広くはないので、車両の往来や隣のバイクとの間隔に注意したほうがよさそうです。

御祭神:熊野速玉大神(クマノハヤタマノオオカミ)、熊野夫須美大神(クマノフスミノオオカミ)

すごい並んでた。いまだとソーシャルディスタンスが・・・とか言われそうですね。

あまり情報が多くなかったのですが、熊野速玉大神は伊奘諾尊(イザナギ)、熊野夫須美大神は伊奘冉尊(イザナミ)のようです。さっきも出てきましたね。

もともとは神倉神社に祭られていたものを、いまの場所に移したのが景行天皇58年の頃だったそうです。それで、神倉神社のほうは本宮、熊野速玉神社のほうは新宮ということになったらしい。

景行天皇は大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)とも呼ばれています。垂仁天皇の第3子。日本武尊を遣わせての熊襲討伐、土蜘蛛討伐などの伝説が日本書紀に記されています。景行天皇の段は日本武尊の話が多く、すでに焼津や陸奥まで勢力が及んでいたことが伺いしれます。

手元の日本書紀には58年は近江国(滋賀県大津市)のあたりに移り住んだこと以外書かれていませんでしたので、社伝を信じるしかなさそうです。

歴史的には平安時代の頃に今のような社殿の構成になったようですね。

梛(ナギ)の木《巨樹》

でかいし、健康そうだし、いい感じ。

境内には樹齢1000年とも言われる大樹、梛の木があります。この葉っぱを懐中に収めてからお参りするらしいのですが、私はそんなことはつゆ知らず普通に参詣してから看板を読んで気が付きました。

葉っぱをむしるとあまり良くない気もします。というかむしれる距離にない気がする。落ち葉があればそれを拾ってお参りし、帰り際にそっと戻していくのがいいんじゃないかと思います。今の時代、熊野まで来るのはそこまで大変なことじゃないですからね。神様の気持ちだけ受け取ってみては。

神宝館(※令和2年10月から修繕のため休館中)

2019年時点では入れたんですが、残念ながら2021年現在の今は入れないようです。入館料500円くらい取られたような気がします。

中には熊野の歴史を知る事ができる大切な史料などが保管されていて、小一時間ほど眺めていられます。神社という場所が文化的に重要な役割を担っていた時代に思いを馳せつつ、鑑賞しました。

1枚も写真が残ってないので、写真撮影禁止だったかもしれません。

これは外にある像のかっこいい足。(足フェチではない。決して)

いい足やん・・・?

ねぼけ堂でソフトクリーム成分を補給

さて、熊野速玉神社から国道42号線を経由して、那智川沿いを走る和歌山県道43、46号線を上流に向かうと、熊野那智大社まで行くことができます。

が、その前に、ねぼけ堂 黒飴の里 で黒飴ソフトクリームを補給。やっぱりツーリングにはソフトクリームがないとね!!

これめちゃくちゃオススメです。コクのある黒飴ソースが掛かった深み・滋味のあるソフトクリーム。お立ち寄りの際はぜひご賞味あれ。

那智御瀧・飛瀧神社

さて、ソフトクリームを補給したところで熊野那智大社に・・・とさらにその前に!

熊野那智大社の手前に、那智御滝と飛瀧神社があります。こちらはあまり大きな神社ではないので、駐車スペースも限られており、お参りのための渋滞ができることもある感じになってました。

幸運なことにバイク専用駐輪スペースが用意されているので、バイク乗りとしては困りませんが、ここまで来たらみんな立ち寄っていくので、連休シーズンなどはかなり混雑していることを覚悟したほうがいいです。

ちょっと上っていくと熊野那智大社なので、先にそっちから行ってもいいかもしれません。参拝順序とかあるのかどうかは知りません。僕は心持ち次第だと思います。

300円納めるとここまで寄れます。けっこうな落差のある滝です。

この日も非常に多くの人が参詣に訪れており、誰もが滝を見上げ、滝と写真を取り、去っていきました。奥に登るには拝観料が必要で、300円程度だったかと思います。僕はせっかくなので上って、滝の近くまで行ってみました。環境保護料と思えば安いものです。

余談:なぜ滝が観光スポットになるのか?

正直、このくらいの滝であれば全国各地いろんな所にあるんじゃないかというような滝、というのが正直な感想です。疲れてたのかもしれませんし、人が多すぎて嫌になってきたというのもあったかもしれません。

昔の人にとっては熊野三山を巡る険しい旅の中で、滝に癒やしを求めたっていう話なのであれば納得はするものの、現代的な感覚からすると、この規模の滝はそこそこあるだろうという感じではないでしょうか。

那智山信仰の源になっているのは水への信仰というところもあり、那智の水は延命長寿の水、高浜虚子もその滝を詠んだという話が残っていますし、天然記念物に指定もされている滝でもありますので、このような形でありがたがられ保護対象になっていることはいいことだとは思います。自然を大切にすることには賛成です。

地質学的な特異性などがあればまた別なのですが、あまり感動がなかったかな。那智大社側から滝を見るとけっこう雄大に見えるようです。

熊野那智大社

さて、那智御瀧・飛瀧神社の後は、熊野三山最後の熊野那智大社へと向かいました。飛瀧神社から駐車スペースまではすぐ近くで、駐車場は十分にあり、バイク用のスペースもあるので安心です。

熊野那智大社の参道は473段の石段になっていて、全部登りきった先に社殿があります。

参道はお店も多く、歩いていると楽しい気分になります。お土産屋さんで那智黒の石でできた八咫烏の置物を買ってしまいました。

残念ながら、修繕工事中。

こんな感じで鳥居と神宝館は修繕工事が実施されていました。悲しい。修繕されていないときにまた来てみたいと思います。

神宝館も覗きました。拝観料500円くらいだったかと思います。色々あったのは覚えているのですが、いまいち頭に入っていないので、今度から感じたことをスマホにメモっておくようにしておこう。

※パンフレットが残っていました。宝剣とか、奉納鏡とかそんな感じのものが残されています。貴重な史料ですね。

御祭神:熊野夫須美大神(クマノフスミノオオカミ)

さっきも出てきましたね。伊奘冉尊です。そしてここもまた神武天皇の東征を起源としています。御由緒のページに詳しく書いてありますが、日本書紀でいうと「熊野の荒坂の津」が、現在の那智の浜に当たるようです。熊野荒坂神社という神社もあるのでだいたいそのあたりに上陸したという感じでしょうか。

ふとここで疑問に思わなくもないのですが、なぜ神武天皇はわざわざ山の中を進んだのでしょうね。海岸線沿いにけばいいんじゃないのかなと思わなくもないのですし、後付感が半端ないですが、伝説なので深く考えないことにしましょう。

これで熊野三山を攻略したことになります!いえい!!バイクで、ですが。

有名な熊野古道については今回は時間の関係もありパスですが、一度は歩いてみたいところです。

潮岬灯台(しおのみさきとうだい)

やっぱ、灯台に行かなきゃね。

ということで今日はそのまま南下して、今日の宿泊地である潮岬望楼の芝キャンプ場を目指していきます。途中にもいい景色のスポットはありますが、時間的にも厳しいので次の日に回しちゃいます。

潮岬灯台です。白亜の灯台。かっこいい!

潮岬灯台に到着!残念ながら曇ってはいるものの、なかなかのいい眺めでした。

潮岬灯台は、銘板をみると1873年9月15日にはじめて点灯され、そのときは八角形型の木製灯台だったみたいですね。その約5年後に現在の形になり、1878年4月5日から現在まで海の道しるべとなっています。

Wikipediaによると江戸条約8灯台のうちのひとつ。1929年に石油蒸発白熱灯になり、1938年に電化され、現在の90cm回転式灯器になったのは1957年でした。

本州最南端に到達

潮岬望楼の芝キャンプ場のあたりは本州最南端の位置になっています。本州最南端の碑もあり、よくもここまできたなという感慨に浸りつつ、キャンプ場にチェックイン。

完全にミスったのが、せっかく到達したのに証拠写真を残せていなかったこと。Swarmの記録はあるんだけど、なぜ忘れたんだろうか思い出せない。これ、もう一回行かないとダメっすかね・・・?

本日の宿泊地:潮岬望楼の芝キャンプ場

ここをキャンプ地とする

普段は無料のキャンプ場ですが、大型連休などの繁忙期は有料のキャンプ場になります。今回はGWということで600円でした。リーズナブルですね。

僕が到着したのは16時ころ。すでにいい感じの平坦な場所は取られてしまっていたので、なんとかぎりぎり平坦な感じに寝られそうな場所を確保しました。

串本温泉 サンゴの湯

串本町の町なかまで戻って、まずはひとっ風呂。こちらは本州最南端の温泉。カルシウム・ナトリウム-塩化物泉で、源泉掛け流し+ろ過循環の併用になっているとのことです。

休憩スペースもあるのでゆったりと過ごすことができます。なかなかいい感じの泉質でございました。ごちそうさまでした。

近所のスーパーで買出し

ゆったりしすぎてだんだん日が落ちてきてしまったので、今日は地元のスーパーで地産地消なものを探そう!と意気込んだのは良かったのですが、意外と目ぼしいものがなく、残念ながら一般的なご飯だけになってしまいましたとさ。

いつものことだから、後悔とかしてないし。

日本酒:吟醸酒 熊野三山

おいちいね

スーパーで地酒を見つけたので購入。2合瓶ってありがたいですよね。今日の晩酌はこれで。

熊野三山という吟醸酒は、和歌山県新宮市にある尾崎酒造さんが作っている地酒です。辛口のスッキリとした飲み口で香りもよく、とても美味しく楽しく酔っ払うことができちゃいました。気持ちよくなったところでおやすみなさい。

2日目のおわりと今日の感想

熊野の山々

今回のメインは、日本のルーツにほど近い由緒正しい歴史ある神社を巡るツーリングでした。やはり風格が違う感じはあったような気がします。

夏目友人帳というマンガの中の一話で、人が訪ねてこなくなって小さくなってしまった神様の話が好きなんですが、かつてはたくさんの人が訪れるということはそれだけ信仰を集めているということだったのでしょうし、険しい山々を越えた先にある神社に参詣することがスーパー一大イベントであったことも思わせるところがありました。

しかし現代となっては、そういった神道や仏教への信仰が地域社会の中心的な位置にあった時代も、徐々に過去のものとして語られるものとなっているような感覚があります。神社も観光スポットのひとつとして消費社会の中に組み込まれ、その姿を保っているに過ぎない、というような気もします。パワースポットとして取り上げることで、スピリチュアル消費を呼び込む手法がまさに象徴的なことです。

その時代時代の背景によって人の作りしものである神社のありようもまた、移り変わっていくものなんだと思います。とはいえ大小様々な神社仏閣を訪れていると、歴史や由緒などからどこか感じるものがないわけではなく、それは多くの時代を生き残ってきたことから芽生えてくる気持ちなのかもしれません。

ただ、僕自身はなんらかの信仰があるわけではなく、どうにかしたいという使命感も持ち合わせておらず、ファンタジーとしてそれっぽいことを消費している大衆に過ぎません。

ほそぼそでもいいのでずっと残っていって欲しいですね。そのために自分にできることといえば、お賽銭を投げることぐらいでしょうか。実際、僕は神社とかより巨樹のほうが神秘的に感じるかな。自然の力ってすげー!!ってなるじゃん。お賽銭システムはキャッシュレス対応できないのかな?法改正しないと無理?

話は変わりますが、現在のコロナウィルス蔓延状況下ではもう見られないのではないかという活況具合の写真が残っていて、ほんの2年半なのに時代の変化を大きく感じました。

この日は、約172kmの走行でした。内容充実だと200km行かないですね。

ここまでお読みいただきありがとうございました。へば!

3日目に続きます。

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